庭師(にわし)とは、庭を造る人のこと。庭石、樹木や池、水路から芝などを含めて、庭を一つの造形空間として設計し、製作する人、またその樹木などの植物の生育を管理し、定期的に剪定したりする管理の仕事もする専門家である。
園丁(えんてい)あるいは造園家(ぞうえんか)、作庭家とも呼ぶ。
すでに古代において造園技術は発達し、バビロンの空中庭園やローマのドムス・アエリアやハドリアヌス庭園(ヴィラ・アドリアーナ)など、大規模な庭園が造営された。しかし機械的技芸一般を軽視した古代社会においては、造園家の地位は一般に低かった。このため造園家の名前はほとんど伝わっていない。
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中世ヨーロッパでは、菜園と庭園の区別はあまり発達せず、修道院や宮廷ではむしろ蔬菜園を兼ねた中庭が主流であり、専門的な庭師の活動領域はあまりなかった。むしろスペインなどで造営されたイスラム庭園が注目される。水を弾きれ、噴水などを駆使したアルハンブラ宮殿の庭園は有名である。
ルネサンスには幾何学庭園が好まれたが、バロックに入るとグロッタなどを多用した、非定型の要素を取り込んだ庭園が発達する。これと後のイギリス式庭園との関係は必ずしも明解ではない。しかし、バロックより庭園設計の理論が盛んに書かれるようになったことはヨーロッパにおける庭園の発達には大きな変革をもたらした。ヴェルサイユ宮殿に見られる大規模な庭園の造営においては、造園家は芸術家としての扱いを受け、厚遇を受けるようになった。
一方中国では、山水画などに共通する、自然に精神性を認める姿勢が庭園制作にも反映し、庭園の設計はむしろ士大夫の教養とされた。日本の作庭はこの系譜に属する。日本の庭師という語は江戸時代に定着したもので、平安時代末期には「石立僧」、室町時代には「山水河原者」と呼ばれた。室町以降は禅宗の影響も受け、枯山水などの試みも行われるようになった。小堀遠州は回遊式庭園の形式を発達させ、各地に名庭園を築いた。