2007年08月11日

合気道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

合気道(あいきどう)は、日本古来の柔術・剣術・杖術など諸武術を基に植芝盛平(1883年 - 1969年)によって創始された現代武道である。
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和歌山県田辺市の富裕な農家に生まれた植芝盛平は幼少より武術の修行に勤しみ、起倒流柔術(きとうりゅうじゅうじゅつ)・後藤派柳生心眼流柔術(やぎゅうしんがんりゅうじゅうじゅつ)を修めた後、1915年、大東流合気柔術総本部長武田惣角(1860年 - 1943年)に入門、1922年教授代理を許された。1917年宗教団体大本に入信、京都の綾部で独自の修行を続け、甥の井上鑑昭(親英体道の創始者)と共に「合気武道」の指導を行う。1927年竹下勇海軍大将らの支援を得て上京、1931年皇武館道場設立、1940年財団法人皇武会(後の財団法人 合気会)設立、1942年「合気道」の名称を用いる(盛平は初代合気道「道主」となり、没後は特に「開祖」と呼ばれることになる)。戦後、のちに二代目道主となる盛平子息・植芝吉祥丸や弟子達によって一般に普及し、知られるようになる(盛平は当初普及に消極的であったが、弟子達の熱意に動かされ、積極的に協力することになったという)。

盛平が創始した(財)合気会は二代目道主・植芝吉祥丸を経て、現在は吉祥丸の次男植芝守央が代表である三代目道主を務める。現在合気道人口の大半を占めるのが合気会の会員であり、合気道界の主流派を形成している。また盛平の門下及び合気会から独立した団体・会派が複数存在する。(財)合気会以外の組織として、望月稔の養正館武道、砂泊諴秀の合氣万生道、塩田剛三の養神館合気道、藤平光一の氣の研究会(心身統一合氣道)、富木謙治の日本合気道協会(富木流)、斉藤仁弘の岩間神信合氣修練会、清水健二の天道流合気道天道館等がある。一方、主な会派に所属しない京都の合気道武産会などの民間非営利組織(NPO法人)の活動がある。また盛平の弟子たちが積極的に海外普及に努めた結果、欧米や東南アジアなど国際的に大きく広まり、フランスなどは合気道人口が日本よりも多い。

技は、体術・武器術(剣・杖)を含み、対多人数の場合も想定した総合武術である。戦時中は旧陸軍中野学校や旧海軍大学校などでも盛平が指導していた。戦後も、自衛隊徒手格闘や警察の逮捕術の技術に大きな影響を及ぼし、機動隊や警察特殊部隊などでも研修が行われている。

技の特徴は、合気道独自の体捌き・「入身」「転換」によって攻撃線をかわすと同時に相手の死角に入り、体の接触点を通じて相手の重心を崩し、自分有利の体勢からの投げ技や極め技で相手を制する形に見出される。また「呼吸力」「合気」といった合気道独特の力の出し方と感覚を身につけることにより、年齢や性別・体格体力に関係なく「小よく大を制す」ことができるとされている。

稽古は基本的に、相手の手首・肘・肩関節を制する幾つかの形から始まる。そして稽古を重ねる中で多様な応用技・変化技(投げ技・固め技)を学んで行く。 通常の稽古では、打撃は牽制程度に用いることが多く、打撃中心の稽古は行われないが、合気道の体捌きは常に敵の急所にいつでも打撃を加えこれを制する可能性を持つと言われている。(「実戦では当身が七分で技(投げ)三分」という植芝盛平・塩田剛三の言葉も残されている。)

原則的に二人一組の約束組手形式(何の技を使うか合意の元に行う)の形稽古中心であり、柔道のような乱取りは行わない。ただし柔道とも関係の強い日本合気道協会のみ早くから乱取り稽古を取り入れていれている。主流会派である合気会では一部の例外を除き試合を行わないが、近年では日本合気道協会の他にも合気道S.A.、武田流中村派合気道、フルコンタクト合気道 覇天会、日本伝無限流合気道、など試合を行う会派も増えつつある。またほとんどの会派が、段級位制をとっている。

通常の筋力や腕力に頼らず相手を制する武道であるということから、「非力な女性の護身術としても有効」と喧伝されてきたが、実際、筋力・腕力に頼らず相手を制することが可能になるには、他の武道同様容易ではなく長い修練を要すること、また合気道の技法が「片手取り」(攻撃者が相手の手首を掴みに来る)「正面打ち」(攻撃者が手刀を振りかぶって打って来る)など、現代の現実の格闘場面では考え難い攻撃法に対応する形になっている(これは合気道の元になった古流柔術が帯刀を前提とした時代のものであり、「抜刀しようと刀の柄に掛けた手を押さえる→片手取り」「刀で斬り掛かって来るのを素手で捌く→正面打ち」などの場面を想定した稽古法であったことに由来すると言われている)こと、および稽古様式が型稽古のみであることなどから、合気道をそのまま一般的な護身術として考えることには疑問を呈する意見も多い。

他武道に比べ、精神性が重視され、精神的な境地が技に現れるとされている。これは、戦前大本の出口王仁三郎に師事し多大な影響を受けたこと、また青年時代故郷の和歌山で南方熊楠に出会い神社合祀反対運動に取り組んだことや、戦時中茨城県岩間町(現・笠間市)に合氣神社を創建するなど神道への親しみが深く、『古事記』や神道用語を用いて合気道の技や理念を語たり著述するなど、精神世界への志向性が強かった盛平自身の性格の反映といえる。盛平の弟子の中には藤平光一を初めとして、ヨーガを日本に持ち込んだ中村天風の影響を受けた合気道師範も多く、合気道の精神性重視という特徴をより顕著にしている。 武術をベースにしながらも、理念的には力による争いや勝ち負けを否定し、合気道の技を通して敵との対立を解消し、自然宇宙との「和合」、「万有愛護」を実現するような境地に至ることを理想としている。(主流会派である合気会が試合に否定的であるのもこの理念による。)



ラベル:合気道
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