2007年08月31日

バンジージャンプ

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バンジージャンプ(Bungee jumping)は、高層ビルや橋の上などといった高い場所から命綱一本で飛び降り、そのフォームの美しさなどを競う競技、あるいはアトラクション。

その起源はメラネシアの小国、バヌアツ共和国のニューヘブリディズ諸島にあるペンテコスト島で行われていた通過儀礼である「ナゴール」といわれている。

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2007年08月30日

テクニカルダイビング

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テクニカルダイビング (Technical diving) とは、オーバーヘッド環境(閉鎖環境)と減圧(仮想閉鎖環境)を伴う大深度への潜水のことである。 スポーツダイビング、レジャーダイビングなどと呼ばれる一般人が楽しみで行うスクーバダイビングの一つのカテゴリーであり、レクリエーショナルダイビングと区別される。 テクニカルダイビングは、1950年代より行われていた直接水面まで浮上することのできない洞窟(海中鍾乳洞、泉なども含む)や沈船などオーバーヘッド環境(詳しくは洞窟潜水の項参照。)の潜水技術や知識を元にして、1980年代にNOAA(米国海洋大気圏局)などで研究されてきた混合ガス潜水技術を用い、仮想天井の減圧停止を伴い、それまでは潜る事の出来なかった大深度潜水(水深40mから100m程度まで)を安全に出来るよう体系化されたレジャーダイビングを指す。1990年代に入り雑誌で紹介されてからテクニカルダイビングと呼ばれる。
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テクニカルダイビングは、全てのレジャーダイビングの安全管理の基礎となっており、特にケイブダイバーは各レクリェーショナルダイビング指導団体のトレーニング部に所属もしくは顧問をしている。

通常テクニカルダイビングとカテゴリーされる以外の見解として、
システム潜水に用いられるような高度な器材(オンデマンドヘルメット)などを用いてレクリエーショナルダイビングの潜水領域に潜るレジャーダイビングをもテクニカルダイビングと称する場合もある。しかし、Technical DivingのTechnicalは高度なダイビング器材のみを指す形容詞にされる場合もあるが、これらを使いこなすための技術を一般的にTechnical Divingと称することはない。なので、橋梁や油田など水中工事で行う潜水や、自衛隊や海上保安庁などが行う潜水とは理論などで共通するものがあるが別物である。なお、沈船などの水中構造物の内部や水が満ちた洞窟内部に進入する上級スクーバダイビングをオーバーヘッド環境ダイビングと呼ぶダイバーもいる。

実施に当たっては、スモールステップ・プログラムが確立されておりシニア世代にテクニカルダイバーは多い。日本のダイビング業界は利益追求主義であり、少ない経験値でステップアップしたがる傾向のためか、レクリェーショナルを超えた知力、体力、技能が要求され、これらを身に付けるために莫大な時間が必要と勘違いしてるダイバーが多い。またNAUI(米国水中指導者協会)エンタープライズは、海外本部で40年以上テクニカルダイビング部門NAUI-tecを開催しているにも関わらず、国内NAUIでは取扱う能力のない会社もある。

海外テクニカルダイバーは精神の安定と身体の柔軟をはかるためヨーガを導入する人も多い。

テクニカルダイビングの中でもケイブダイビングは、下記の年表を見れば判る通り、レクリェーショナルダイビングより古くから行われている。いわばレジャーダイビングの原型となった潜水探険を含む。

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2007年08月29日

武術太極拳

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武術太極拳(ぶじゅつたいきょくけん)は中国で生まれた中国武術をもとにしたスポーツである。中国および国際的には武術(ウーシュー、Wushu)と呼ばれ、日本では「武術太極拳」という名称となった。
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この国際競技スポーツとしての武術は近年国際的に普及してきており、1999年、IOC暫定承認競技となり、2002年、IOC正式承認競技となった。アジア競技大会では1990年アジア競技大会(北京)から、東アジア競技大会では1993年の第1回大会(上海)から正式競技として実施されている。IOC後援ワールドゲームズでは2009年台湾高雄大会で公開競技として実施される。

国内競技団体は日本武術太極拳連盟で日本オリンピック委員会 (JOC) に加盟している。 国際競技団体としては、国際武術連盟 (International Wushu Federation) が1990年に創立され、1991年より世界選手権を開催している。

国際競技としての武術太極拳の種目は、太極拳、長拳三種目総合、南拳の三種である。太極拳は、各派の太極拳を統合して競技用に整理したものが行われている。(太極拳#制定拳参照) 長拳三種目総合は少林拳、査拳、華拳など北派武術を元にして作られた。南拳は伝統的な南拳のうち、主に広東省の代表的な南拳である洪家拳を元に作られている。 これらは表演競技であり空手で形競技にあたる套路競技である。採点の容易さから、制定拳あるいは規定拳と呼ばれる統一した動作が多く演じられている。(中国武術#伝統拳と制定拳参照)

国際武術連盟では空手で言うところの組手競技である散手(散打)競技も種目化しており、アジア武術選手権大会でも実施され、ワールドカップも開催している。しかし、日本武術太極拳連盟はこれらに選手は派遣せず、日本からは空道の大道塾らが派遣している。また、日本や上記の総合競技大会では武術太極拳の散打競技は実施されていない。

ラベル:武術太極拳
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2007年08月28日

杖道

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杖道(じょうどう)とは「杖(じょう、またはつえ)」と呼ぶ木製の棒を用いた現代武道の一つとして杖および太刀(木刀)を用いる形武道(かたぶどう、型武道)である。
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形武道は一般に攻撃と防御を合理的に組み合わせた形(かた)を反復して稽古する武道のことであり、合気道、居合道もこの形武道の典型といえる。

過去には流派もいくつかあったが、現在もっとも人口の多い杖道は宮本武蔵と同時代の夢想権之助勝吉(生没年不詳)を流祖とする「神道夢想流杖術」の流れを汲むものであり、両手を広げた両掌中の程よい長さの杖を用いて左右均等に千変万化の「打つ・突く・払う」等の技を繰り出すものである。使用する杖は神道夢想流杖術の流派杖である長さ四尺二寸一分(約128cm)、径八分(約24mm)の白樫の棒が標準であるが、本来は立って、足下から胸の高さまでの長さが良いとされている。太刀は三尺三寸五分(101.5cm)、柄の長さ八寸(24.2cm)の白樫の木刀を使用する。

最大の団体は全日本剣道連盟の杖道部であり、通常稽古されているのは、本来「捕縛術」に用いられていた実戦的で危険とも言える「杖術」を、広く普及するために、神道夢想流杖術の形から剣道形と整合した杖道形として昭和43年(1968年)に清水隆次、乙藤市蔵により原型が制定され、その後改良が加えられている。

「全日本剣道連盟杖道」と呼ばれ、一人または二人で行う基本十二本と、二人で攻撃防御の形稽古を行う杖道形十二本がある。特に形では、打太刀(うちだち)、仕杖(しじょう)に分かれ、攻撃防御を行う。 杖道の気合は打ち込みで「エイッ!」突きで「ホォッ!」と力強く発声する。

形試合と段位制度をもっており、各地に支部を持ち、道場単位で活動している。

ラベル:杖道
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2007年08月27日

居合道

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居合道(いあいどう)とは、武術である抜刀術・居合を武道としたものである。
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居合道とは、日本刀を用い、抜刀から納刀、および諸作法を通し技能の修練のみならず 人格の涵養なども含めた各自による自己修練のこと。 現在、座った状態で、鞘から刀剣を抜き放ち、さらに納刀に至るまでをも含めた技術を、一つの独立した武道と成している国は、全世界でも日本のみで、実は非常に稀有なものである。

それぞれの団体において段級位制があり精進を重ね、形を演武し所定の審査と試験(筆記、口頭かは各団体により異なる)を経て段位及び範士、教士、錬士という称号を授かる。十段範士が最終段階であり、最終目的である。(団体により目的が異なる)

ラベル:居合道
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2007年08月26日

銃剣

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銃剣(じゅうけん)とは、銃に装着する武器(刀剣)の一つである。小銃のように比較的長い銃身を持つ銃の先に取り付け、槍や薙刀のようにして用いる。
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また、銃剣を装着できる小銃のことを「銃剣銃」と称することがある。また、歴史的には、江戸末期から昭和初期頃までは着剣状態の小銃を「剣付き鉄砲(けんつきでっぽう)」とも言った。

銃剣は17世紀、フランスのバイヨンヌで起きた農民同士の争いから偶然に発明された。この地名から銃剣のことをバヨネット、乃至、ベイオネット(Bayonet)と呼ぶこともある。このとき、興奮した農民が、ライフル銃の銃口に、ナイフを差込み、相手に襲い掛かったと伝えられている。

当時の銃は連射性能が低く、戦闘においては、射撃と射撃の合間に敵兵に突撃される恐れがあった。このため当時は、銃を持つ兵士の傍には常に槍兵を置いていたが、銃剣の採用により槍兵が不要になり、単独で対応することが可能になった。日本には天保年間、高島秋帆の「洋式調練」以来、幕末期に洋式銃と共に導入された。形状はソケット型装着方式の「槍型」とサバイバルナイフ形状の「剣型」があり、ソケット式のものを特に「銃槍(じゅうそう)」と呼ぶこともある。

初期の銃剣は柄を銃口に差し込み用いたため、当時主流であった前装式長銃では、次弾が装填できなかった。その後、後装式長銃が発明されたのと同時期に、銃口の下部に銃剣設置用の器具が取り付けられ始めた。

旧日本軍では、銃剣のみ配備された部隊があり、小銃の代わりに「戦場ニ於テ着剣銃ニ代用スベキ刺突用具」というサポート機材を作成使用していた。ただし、着剣し、白兵戦で刺突に使用した小銃は、その衝撃でゆがみが出て、直後には長距離射撃には使いにくくなっていたという説がある。
ラベル:銃剣
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2007年08月25日

フェンシング

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フェンシング (Fencing) とは剣を用いた攻撃および防御の体系のことである。通常はヨーロッパに由来するものを指す。今日では武術あるいは近代オリンピックスポーツとしての意味で用いられる。
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近代フェンシングは、国際フェンシング連盟(FIE:Fédération Internationale d'Escrime)がパリに設立された1913年にまでさかのぼることができる。FIEはスポーツとしてのフェンシング、とりわけ国際試合のルールの成文化と管理を目的とした団体である。この設立に先立ち、国際試合が(特にライバル国であるフランス・イタリア間で開催されたことは特筆に価する)開催された。

今日的な視点で見ると、FIEの設立は「スポーツ的な」フェンシング−つまり、独自に決められたルールで行われる試合に勝つことを目的としたもの−と、それ以外の「伝統的な」フェンシング−護身あるいは公式の決闘の手段としての剣術を探求するもの−を決定的に分断したものであったと言える。

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2007年08月24日

スポーツチャンバラ

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スポーツチャンバラとは、日本において行われていたチャンバラごっこに、警察で行われている逮捕術の型の要素と安全性とルールの導入によりスポーツ(武道)として確立させたものである。略称はスポチャン。創始者は田邊哲人(現・国際スポーツチャンバラ協会及び社団法人日本スポーツチャンバラ協会会長)
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その昔、遊び道具として現代のようなテレビゲームが存在しなかった頃、友達と遊ぶ遊びとしてチャンバラごっこがあった。男の子も女の子もみな、棒きれを探してきては剣にみたて、それでよくチャンバラごっこをしたものである。しかし、次第に時代の流れというのか、木の棒で戦いあっていたりすると、「勉強の方が大事だ」「危険だ」「怪我をする」などと言われるようになってきた。そのような年代の少年少女たちも、成長しいつしかチャンバラごっこをしなくなった。

そこで、より安全にしかも健康的にと云う観点から、ルールや用具の開発が進められた。現在においても、進化し続けている。

スポチャンのルールはいたって簡単、十分な威力で相手の身体のどこでも良いので剣で斬る(叩く)というのである。いわゆる、「どこを打ってもよいが、どこを打たれてもいけない」というもの。1人対1人でやる「対戦」から、1人対多人数、多人数対多人数といった多人数対戦を「乱戦」、より人数を増やして30人対30人や50人対50人の「合戦」といった対戦方式もある。また、より遊び心を付け加えた30人程度で行い、周りにいる全員が敵と想定し戦う、「サバイバル」がある。

用具も、面と剣、楯があり、剣は安全と公平さを期すため、全世界共通のエアー(空気)を使う。面は、目や耳といった、衝撃に弱い部位を保護するように作られている。また、得物(武器)にも色々種類があり、短刀 (45p) ・小太刀 (60p) ・長剣 (100p) ・杖 (140p) ・棒 (210p) ・槍 (190p) ・ナギナタ (210p) と、自分の好みのものを選ぶことが出来る。

これらの得物を使い、各種目ごとに分かれて戦うのである。種目も、短刀の部、小太刀の部、楯小太刀の部(楯と小太刀を持って戦う)、長剣の部、両手長剣の部(試合中は攻撃動作、防御動作としての片手持ちを禁止)、二刀の部(小太刀と長剣を持って戦う)、異種の部(得物自由で何を使ってもよい)があるので、大会の規模で最大三種目と上限が決められることはあるものの、好きな種目に参加することができる。

国内競技団体は日本スポーツチャンバラ協会。国際競技団体は国際スポーツチャンバラ協会。

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2007年08月23日

剣道

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剣道(けんどう、劍道)とは日本古来の武術である剣術の竹刀稽古である撃剣を競技化した武道で、剣の理法の修練による人間形成を目的とする道または修行である。
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呼称は、柔術に対する講道館の柔道を参考に、明治32年に武術再興のため設立した大日本武徳会が江戸時代以来の剣術や撃剣を学校の体育教育に採用できるよう稽古法を改め、大和心(大和魂)など精神修行とする(高野佐三郎の歌にも「剣道は神の教えの道なれば やまと心をみがくこの技」とある)ため、名称を大正8年ごろ剣道としたという記録に残っており、そのころ成立したものらしい。(なお剣道という用語は、例えば寛文7年(1667年)安倍立伝書に剣術は日用の術なので剣道という号にするという表現がみえるなど、江戸時代にも流派によっては使われたこともある。)

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2007年08月22日

チェスボクシング

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チェスボクシングはチェスとボクシングを融合したスポーツである。
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チェスボクシングの試合は、チェスとボクシングを交互に行うことによって進められる。最初はチェスのラウンドから始まり、最大11ラウンドまで続けられる。チェスは1ラウンド4分間であり、ボクシングは1ラウンド2分間である。それぞれのラウンドの間には、1分間の休憩がとられる。チェスの持ち時間は12分であり、これが切れると負けとなる。持ち時間切れのほか、ボクシングでのノックアウトまたはチェスでのチェックメイト、審判の決定によって試合は終了する。

チェスボクシングは1992年にコミック作家のエンキ・ビラルによって構想された。この構想はビラルの「冷たい赤道」という作品の中で詳細に描かれている。このビラルの作品をヒントとして、オランダ人芸術家のイップ・ルービングは、2003年に世界チェスボクシング機構 (WCBO) を立ち上げ、第1回世界選手権を開催した。

アムステルダムで行われた第1回世界選手権では、イップ自身が優勝を果たした。2005年10月1日には、ベルリンで第1回欧州チェスボクシング選手権が開催され、ブルガリアのTihomir Titschkoが、ドイツのAndreas Schneiderを下して優勝した。

日本国内でもデモンストレーションファイトが行われている。2004年4月17日に、自由が丘のT&S GALLERYでイップと柳瀬総一郎が戦い、ラウンド9にイップが柳瀬をチェックメイトで下した。
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2007年08月21日

ボクシング

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〜古代ボクシング
そもそもボクシングは、人間が二足歩行を始めてから既に会得していた攻撃手段だと言われている。
紀元前4000年ごろの古代エジプトの象形文字からも軍隊で使われていたのが判読されており、クレタ島の紀元前3000年ごろのエーゲ文明の遺跡からもボクシングの図が書かれた壷が発見されている。恐らくこのころから競技に発展していったと思われる。
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古代ギリシア語では握りしめた拳をPUGMEといい、それからPUXOS(箱)となった。そこからラテン語のPUGILATUS(拳での戦い)、PUGILISM(「ピューリシズム」)という言葉が生まれている。そして古代オリンピックでは第23回大会から正式種目となり、オノマストスが月桂冠をうけた。この時代は全裸で油を塗り、拳には鋲を皮のバンテージのような物で包んだグローブのような物を着用、腕や肘でも攻撃できたようだ。この当時はラウンドは無く、どちらかが戦闘不能、またはギブアップ(右手の人差し指を天に突き上げるとギブアップになったらしい)で勝負がつく。この競技は第38回大会まで続けられた。 そして後にこの競技はパンクラチオンとなった。

ローマ時代に入って奴隷同士が鉄の鋲を打ち込んだセスタスという武器を拳に着けて、コロシアムなどで見せ物として行われるようになった。敗者は死亡、または再起不能になったと言われている。
そして436年に西ローマ帝国が滅びると共に姿を消した。


中世ボクシング
正式な名称ではないが、あえてここでは仮に「中世ボクシング」と呼ぶ。
イタリアやイギリス、オランダなどヨーロッパを中心に、護身として、レクリエーションとして細々と行われていたようだが一般には定着しなかった。
13世紀ごろのイタリア又はイギリスの神父が「ボクシング」と名付け、近所の若者に教えたのが「ボクシング」という名称の始まりだという説もあるが、定かではない。


近代ボクシング
現在のボクシングのルーツは18世紀のイギリスのテムズ川オックスフォードシア村で誕生したジェームス・フィグ(James Figg レスリング、フェンシングとくに棍棒術を得意とする)が1718年にロンドンで「ボクシング・アカデミー」(ジムの原型か?)を設立して貴族などにボクシングを教え始めた。彼が行った「ボクシング」とはベアナックル(素手)で行い、蹴りや投げ、締め、噛み付き、目つぶしがあるパンクラチオンのような物だった。 フィグ自身も教える傍ら自ら「プライズ・ファイター」(つかまれないように頭髪をそっていた)として腕自慢達を倒して賞金を稼ぎ、護身術としても優れていると認められたボクシングとともに名声を得てイギリス初のチャンピオンとなった。1730年36歳で引退し、1734年、39歳で死去した。

そしてフィグの後継者であったジャック・ブロートン(Jack Broughton)が、自ら保持するタイトルの防衛戦の時、相手を殺してしまったために、「ボクシングを普及させるのはこのような危険は廃さねばならない」と考え明確なルールを、近代ボクシング初となる7章のルールブック「ブロートン・コード」(Broughton’s Rule)に書き記し、1743年発表した。その内容はベルト以下への打撃の禁止・腰より下の抱込みの禁止・倒れた相手への攻撃禁止、ダウン後30秒以内に中央の所定の位置に立つ、リング(直径25フィートの円形、硬い土の上)などである。また貴族の練習の怪我防止用にマフラーという名のグローブを採用した。

1750年〜1790年死者が多いためイギリスでボクシングの禁止

1811年のイギリス人チャンピオン、トム・クリブ対アメリカ合衆国トム・モリノーの再戦は2万5000人もの観衆がいた。

1814年にジョン・ジャクソン(元チャンピオン)が英国ピュジリスト保護協会を設立し、1838年に「ロンドン・プライズリング・ルールズ」(29条)を発表した。それには、ベアナックルで行い、蹴り技の禁止・頭突きの禁止・目玉えぐりの禁止、ダウン者に30秒の休憩、所定の位置に8秒で戻るなどであった。

このころのボクシングはダウンごとに1ラウンドとし50ラウンドにも及ぶ場合があった。そのため序盤は拳や手首を痛めないように用心しながら、徐々に打ち合っていくというスタイルであった。

1856年フランスで八百長疑惑によりボクシングなどの興行がパリで全面禁止された。

1867年にロンドン・アマチュア・アスレチック・クラブのジョン・グラハム・チャンバースはルール保証人の第8世クィンズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラスの名を冠した「クイーンズベリー・ルール」(Marquess of Queensberry Rule 12条)を発表した。それでは、投げ技が禁止された他、3分1ラウンドとしラウンド間に1分間の休憩をとるラウンド制、グローブの着用、ダウンした者が10秒以内に立ち上がれない場合はKO負けとすることが定められ、現在に通じるボクシングルールが確立した。ただし定着は遅れ以前の「ロンドン・プライズリング・ルールズ」についても1889年7月ジョン・ローレンス・サリバン(アメリカ合衆国のマサチューセッツ州出身、1858年10月15日生)がジェイク・ロドリゲスと行なった防衛戦まで続いた。

1892年9月7日、ジョン・ローレンス・サリバン対ジェームス・J・コーベット(アメリカ合衆国のカリフォルニア州出身、1866年9月1日生、元銀行員)戦においてコーベットは当時のスタイル「スタンド・アンド・ファイト」ではなく「卑怯者の戦法」といわれた相手から距離をとってパンチをかわし、左の軽いジャブをあてるというスタイルでサリバンを21回KOし勝利をおさめた。
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2007年08月20日

総合格闘技

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総合格闘技(そうごうかくとうぎ)は、当身技(打ち技、蹴り技、突き技)、投げ技、固め技(抑込技・関節技・絞め技)などの攻撃法を駆使して勝負する格闘技である。
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ボクシングや空手などの相手と一定の距離をおき立った状態から打ち技で戦う打撃(立ち技)系格闘技や、レスリングや柔道など相手と組んだ状態で固め技や投げ技を繰り出して戦う組技系格闘技と対比される。

打撃系格闘技の多くでは固め技・投げ技が、組技系格闘技の多くでは打撃がルールで禁止されているのに対し、総合格闘技ではその両方を認めることから、何でもありの格闘技とも呼ばれる(もちろん目つきや噛みつき等は禁止で、頭突きも禁止している場合が多い)。

英語ではMMA(Mixed Martial Arts、「混合格闘技」の意)、NHB(No Holds Barred、「禁じ手無し」の意)、Free Fight、ポルトガル語ではVT(Vale Tudo、「全てが有効」の意 バーリトゥード)などと呼ばれる。

狭義ではこれらのうち、日本でも各種大会が開催されるようになった初期の頃、マスコミやファンの間で「NHB」「バーリトゥード」と呼んでいた格闘技のことを「総合格闘技」という。最近はこの名称が定着している。なお、寝た状態での顔面打撃が禁じられているルールは、総合格闘技、MMAとしては認められても、何でもありを意味するNHBやバーリトゥードと呼ばれることは一般的ではない。

ラベル:総合格闘技
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2007年08月19日

サンボ (格闘技)

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サンボ(露:Самбо、英:Sambo)はソビエト連邦で開発された格闘技、または旧ソビエト連邦において徒手格闘技、徒手武術をあらわす。
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Самбоは、самозащита без оружия(samozashchita bez oruzhiya、武器を持たない自己防衛の意)の略であると言われている。つまり、広義では徒手格闘技、徒手武術のことである。 また、Samboには黒人への蔑称の意があるためアメリカではSomboと表記することもある。

狭義では日本で一般に知られているスポーツ、格闘技であるスポーツサンボのことをさし、この意で使われることが最も多い。このスポーツサンボはソビエト連邦で開発された格闘技である。

旧ソビエト連邦の軍隊で採用されている徒手軍隊格闘術をコマンドサンボ(露:борьбы Самбо)と言う。日本でコマンドサンボと呼ばれるサンボは正確には英語でコンバットサンボ、ロシア語でバエヴォエサンボと言う。

また、ロシア古来の着衣徒手格闘技でニコライ・ズーエフが修得していた英語でロシアンサンボ、ロシア語でルースカエサンボと呼ばれるものもある。多彩な関節技を有している。スポーツサンボのベースにもなっている。

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2007年08月18日

カポエイラ

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カポエイラ路上の試合カポエイラ (capoeira) は、ブラジルの格闘技。カポエィラとも呼ばれる。「カポエラ」は誤った表記であるが、日本語表記は前述のいずれかが用いられる。
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相手に蹴りや攻撃を当ててしまうものは下手とされ、基本的に相手には触れず、プレッシャーをかけてゆく。そのため、格闘技とダンスの 中間に位置するものとも考えられる。

日本では梶原一騎が自書の作品で『逆立ちしながら闘う格闘技』と誤った紹介をした為に、長年誤解されてきた。実際には常に逆立ちのような体勢をとるのではなく、足を地面に付けていることの方が多い。

ラベル:カポエイラ
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少林寺拳法

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少林寺拳法(しょうりんじけんぽう)とは太平洋戦争直後の1947年(昭和22年)10月、満州から帰国した宗道臣が日本で創始した禅の精神修養と護身を旨とする拳法の流派および宗教団体。
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少林寺拳法の本来の目的は、宗教法人金剛禅総本山少林寺に伝承する霊肉一如の修行法であり、その修練をとおして、健康増進・精神修養・護身練胆の三徳を兼備し、金剛の肉体と不屈の勇気、円満な人格、思いやりと優しさを持った人々を多く育てあげて、それにより人々が平和で幸福な理想社会を実現する為の力を獲得する宗門の行であるという。つまり、人作りによる国作りの大道が本来の目的であるとされる。そうした意味で、宗教団体というより、また、武道団体というよりも、社会教育団体という言葉の方が似合う位であるとされている。

ちなみにここでの「宗門の行」とは、「人が心の迷いを去って真理を会得し、自らがよりどころと出来る自己を確立し、それによって社会の平和と幸福に奉仕、貢献する為に行じる」という意味だという。(財団法人少林寺拳法連盟著・図解コーチ・スポーツシリーズ「少林寺拳法」(成美堂出版)より抜粋。原文ママ)

明治44年(1911年)生まれの宗道臣は、昭和初期に「日本民族発展の捨石になろう」という理由で、中国大陸に渡り、陸軍の特務工作員の仕事をしながら、仕事に必要な教育を受ける為に道教の十方叢林(宗教専門学校)に連れて行かれて、陳良という中国人の老師に身柄を預けられて、そのまま弟子になった。陳良老師は、1900年前後に興った義和団事件の生き残りの中国拳法の達人で、その老師に少しずつ拳法の技を学んでいったという。その渦中に、ある任務の為に中国東北地区(当時の満州)を大旅行する事になり、その際に義和団事件の生き残りの拳法家達に拳法の技術を少しずつ学んでいったという。その中の一人が、陳良老師の師匠であり、北少林義和門拳二十代師父の文太宗老師で、文老師の下で修行を積んだ宗道臣は、その技の全てを習得、昭和11年(1936年)祖師達磨大師のゆかりの地・嵩山少林寺で義和門拳の法脈継承の儀式を行った。

そして、終戦の年の昭和20年(1945年)8月9日に当時の満州で、ソ連軍の攻撃に遭遇、それからの約一年間をソ連軍軍政下の満州にて生活する事になる。その生活の中で法律や政治のあり方は、その立場に立つ人の人格や考え方によって大きな差が出る事を発見し、「人、人、人、全ては人の質にある」という事を悟ったという。もし、生きて日本に帰る事が出来れば、私学校を開いて、青少年を集め、道を説いて、勇気と自信と行動力と正義感と慈悲心に満ち溢れた、強くて、優しくて、正しい若者を多く育てたいと念願するようになったという。

しかし、実際に帰国してみると、祖国は道義も秩序も無い弱肉強食の修羅場のような状況で、特に次代を担う青少年の荒廃は目を覆うばかりだったという。「これではいけない、これからの半生を骨のある青少年の育成に捧げよう」と決心し、四国の香川県・多度津町にて主として釈尊の正統仏教の教えを説きながら、人作りの重要性を訴えたが、中々人々はついてきてくれなかった。肝心の若者達も同じで、中々長続きはしなかったという。そんな状態で思い悩んでいた時に、歴史上の人物で、中国・河南省・嵩山少林寺に座禅行と易筋行を伝えたとされる菩提達磨の夢を見て、そこからはっと閃くものがあった。「そうか、はるばるインドから中国に正統仏教を伝える為に渡った達磨が、この行を弟子達に学ばせたその故事に倣って、今こそその達磨の行動を日本に再現させよう」と思い立ち、その為に人集めの手段として、餌として、少林寺拳法を開創する事を思い立ったという。これを長期間に渡って教えながら、道を説けば、必ず次代を担う青少年に不屈の精神力と、金剛の肉体とを合わせ持ち、その上で自信と勇気と行動力を与える事が出来ると確信したという。

こうして、釈尊の自己確立・自他共楽の教えを「力愛不二・拳禅一如」の法門として編成し、中国で学んだ各種の拳法を再編整理して、理論の裏付けを行い、さらには戦中・戦後を通しての貴重な白兵戦の体験と創案を加えて、宗門の行としての形を整えた。こうして少林寺拳法が開創されて、その拳法の修行の合間、合間に口が酸っぱくなるほど、釈尊の教えを中心に祖国愛や民族愛等の人生観・世界観を当時の青少年達に説き続けたという。そして、昭和55年(1980年)に宗道臣が心不全で69歳で死去するまで、この金剛禅運動と名付けられた運動は続けられて、現在は娘の宗由貴氏に引き継がれている。

実際に宗道臣自身が、後年に、単に武道団体を創始したかったのではなく、「敗戦した後の日本の若者の堕落ぶりは目を覆わんばかりであった。荒廃した日本民族の自立を再度うながすべく、一人でも気骨ある若者を育てる教育の場を創造したかった」と回顧している。

法衣と呼ばれる仏門の服装をまとい、おもに二人一組で行われる演武は、飛燕と呼ばれる突きと蹴りの攻防、そして鋭い気合の応酬、床にたたきつけるがごとくの投げ技と関節技、そして圧法と呼ばれる技法で行われる。静と動を同時に行う禅の拳法と称された。創始当時には他流派武道から多く転籍があり当時としては魅力ある技術体系であったと想像される。一方、少林寺拳法は戦後発祥であるが、日本九大武道(日本武道館認定)の一つとなった。また金剛禅と呼ばれる思想は、創始60年を経過した今も、剛柔一体の技法と同様に多くの人々の共感を呼び、さらに会員数は増え続けているとされている。

同時に別派を認めない世界で唯一の宗教団体及び武道団体として結束力が強い。宗が戦前に中国の臨済宗の総本山である嵩山少林寺を訪れた際に、彼が修業中であった義和門の法門継承式を少林寺にて行い、またその際に白衣殿北壁の羅漢練拳図に描かれた相対演練を見て深く感銘を受けた意味から後日「少林寺拳法」と流派名をつけた経緯がある。したがって技法的には少林拳、少林寺の歴史とは直接は関係が無い。宗道臣が中国滞在時に指導を受けた各種中国拳法を取り入れ、また幼少時より祖父宗重遠から教わった不遷流ほか日本の古武道を混合させて試行錯誤のうえ作り上げた(出典:「秘伝少林寺拳法(光文社)」)日本独自の武術であり、宗派である。終戦直後の香川県多度津町で宗道臣は「これはシナの武術じゃ。喧嘩の仕方を教えてやる」と言って少林寺拳法を広めていった。

嵩山少林寺には昭和50年代に宗道臣の記念碑が建てられており、日本から多数表敬訪問している。同寺の公式ホームページに「日本武士宗道臣」の記述がある、リーリンチェイ主演映画「少林寺」に少林寺拳法の山崎博通氏(現・禅林学園校長)が出演している、リーリンチェイ氏が日本の香川県少林寺拳法本部を訪問している、など交流面は多く、嵩山少林寺と日本少林寺拳法連盟はお互いを認め合っている。ちなみに嵩山少林寺の武術は単に少林拳と呼ばれていることが多く「拳法」と言う呼称は中国においてはあまり使われない。
ラベル:少林寺拳法
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2007年08月16日

中国武術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中国武術(ちゅうごくぶじゅつ)とは、中国に起源を持つ武術の総称。「中国武術」は中華人民共和国では単に武術(ウーシュー、wǔshù)、中華民国(台湾)では國術(グォーシュー、guóshù)(日本でこれから転じて国術)、中国広東省など両広地方では功夫 とも呼ばれる。また、中国で単に「武術」というと世界中の武術、武道、格闘技全般を指すこともあるので留意されたい。
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中国拳法とも日本ではよく呼ばれるが、中国での名称である武術という言葉が示すのは徒手技術である拳法のみではなく、火器を除く武器術も含まれる。武器は中国においては器械、または兵器と呼ばれ、刀や剣に代表される短器械、槍や棍に代表される長器械などがある。中国の武術の門派の数は有名なものだけで400とも600とも言われるが、徒手拳術と器械を備えている門派が多い。

現在、「武術」(ウーシュー、日本名「武術太極拳」)の競技名で点数制の套路競技(表演競技)や散手(散打)競技(徒手の組手競技)が中国国内だけでなく国際的に行われている。(この国際競技スポーツとしての「武術(武術太極拳)」は、節「伝統拳と制定拳」や武術太極拳を参照)

中国では武術の目的は「看」、「健身」、「実用」、すなわち見て美しい演武を行うこと、体を鍛えて健康になること、そして相手を殺傷できる力をつけることの3つであると考えられている。「看」の側面を強調したものは表演武術である。「健身」の側面を強調したものは太極拳である。太極拳の愛好者は世界中に大勢いるが多くの人が武術としてよりも健康法として行っている。「実用」の側面は現代では表だって行われることは無いが、伝統拳を伝える老師の多くは実用性を重視した練習方法を伝えている。いずれかが強調される場合はあるものの、この3つが揃って初めて武術と呼べるものであり、いずれかを欠いた場合には武術ではない何か、ダンス競技や健康体操、あるいはただの格闘技となってしまうという考え方もある。

ラベル:中国武術
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八卦掌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

八卦掌(はっけしょう、Baguazhang)とは、中国武術の内家拳の一つ。現在は分派により、八卦六十四掌、遊身八卦連環掌、揉身八卦遊身掌など様々な呼び方があり、「八卦掌」はそれらの総称である。名称からわかるように、動作の根本原理を周易の八卦思想で説明しているが、それらの理論は当然後世に構築されたもので、成立当初には無かったと考えた方が良い。
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成立年代は19世紀の前半(清朝後期のころ。)と言われており、創始者は紫禁城の宦官であった董海川とされる。当時、董海川自身が「八卦掌」という名称を用いていたかどうかは定かでなく、その名称自体は後世になってから定着したものと考えられる。董海川は後に紫禁城の護院の長、あるいは粛親王府の護院の長となったと伝えられているが、確かな記録はまだ見つかっていない。

八卦掌の源流を道教の修行法とする人や他の拳術とする人もいるが、実際の所はわからない。成立過程の一つに羅漢拳が挙げられることもある。八卦拳を標榜する派、特に宮宝田派がこの説にこだわっている。二代目の尹福が羅漢拳を身につけていたからだが、開祖の董海川が羅漢拳を身につけていた形跡は見られないので、これも一つの伝説にしか過ぎない。

(*ある技術が自派にのみ伝わり、他派に伝わっていないので自派が正統だとするのは武術の流派によく見られる言い方だが、その正当性を客観的に証明するのは困難である)

董一族の住処であった村に八番拳というものが伝えられており、これが八卦掌の源流ではないかと北京体育大学の康戈武教授が論文を書いている。この八番拳に道教の円を巡る修行法・禹歩が加えられ走圏となったのではないかと推測している。また八番拳の套路には八大母掌との共通性が見られるという。 かなり濃厚な説だが証明は難しい。

他門派に比べて新しいこともあり、八卦掌の技術は他門派の優れた技術を多く取り入れている節がある。八卦掌は、他の「内家拳」門派と比べて練習体系が公開されていない為か、他の門派よりも一層神秘的に見られていることが多く、また動きが優雅なので誤解が多いが、実際には極めて攻撃的である。変化に富むのが特徴で、一般的に太極拳は柔らかい、形意拳は剛直と見られており、太極拳は柔を表す皮革球、形意拳は剛を表す鉄球に喩えられ、八卦掌は鋼の糸を編んだ鉄糸球と喩えられるが如く、剛でもあり柔でもある。

形意拳一門と八卦掌一門が試合をしたとき全く勝敗がつかなかったため両者が話し合ったところ、共に同じ原理に基づく武術であると分かり、その後互いに相手の武術も修行することになったとの伝説が語られている。おそらくは程廷華が形意拳家と多くの交流をもったために生じた伝説だが、程廷華の交友関係により形意拳との交流が多くなり、歴史的にも技術的な影響を形意拳から受けている派が多くなったことは事実である。

八卦掌は名前の通り「拳」(こぶし)よりも「掌」(てのひら)を多用するのだが、掌に限定するわけでなく拳も用いられる。掌の形も、相手をつかんだり攻撃を流しやすくするために指先を大きく広げて構える形や、隠し武器(暗器)や指先で相手の急所を突くために指先をそろえて構える形など、門派により様々である。

技の数は非常に多く、一見踊りを踊っているようにも見える動作には、非常に効果的な攻撃方法が含まれる。また、技の数は多いが、その中で一つだけ「A」という技だけをピックアップして練習することもできる一方、全く違う「B」や「C」などの他のあらゆる技と組み合わせて練習することも可能であり、動作を次々と移ることもできるように作られているという特徴を持つ千変万化の拳法といわれる。多くの中国拳法がそうであるように八卦掌の身法もまたそのまま武器術(特に刀術)に応用することができる。

北京の故宮で皇帝のボディーガードをするために工夫された、特徴的な武器や暗器も多い。

はじめに基本動作である「走圏 (Zouquan)」・「八大掌(badazhang)」を練習し、その後さまざまな套路(型)や武器術を学ぶ。

套路には、老八掌、新八掌、連環掌、遊身掌、九宮八形掌、八面掌、龍形掌、六十四手などがある。(各門派により套路の内容、練習体系、名称に違いがある。)
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2007年08月14日

形意拳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

形意拳(けいいけん・Xingyiquan)は、太極拳・八卦掌などと共に内家拳に分類される中国武術の一派。
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その伝承内容は、五行拳(金行劈拳、水行鑚拳、木行崩拳、火行砲拳、土行横拳)という陰陽五行説でいう五行を表した、 五種類の単式拳を全ての母拳とし、 その応用で十二形拳(龍形拳、虎形拳、猴形拳、馬形拳、黽形拳、鶏形拳、鷂形拳、 燕形拳、蛇形拳、鳥台形拳、鷹形拳、熊形拳)とよばれる、十二種の動物の形態と意を表した象形拳を基本としている。

形意拳の代表的な套路(型)は、各派によって差異はあるが、
五行連環拳(形意連環拳)、雑式捶(十二形合一拳)、四把捶(鶏形四把拳)、 八字功(正門八字功・奇門八字功)、出入洞(出洞入洞)などがあり、 二人一組でお互いを打ち合って行う対練套路には、五花砲、五行砲、安身砲、散手砲などがある。

武器術も豊富で槍術を中心に、棍、剣、刀、暗器など使用兵器は多彩であり、 器械套路(武器の型)としては形意梅花槍、形意五行槍、形意五行刀などの套路がある。

ラベル:形意拳
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2007年08月13日

太極拳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

太極拳の練習風景太極拳(たいきょくけん)は中国の長い歴史の中から生まれた中国武術の一つ。
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緩やかで流れるようにゆったりとした動きが特徴であり、健康、長寿にも良いとされ、中国などでは朝の公園などで集まって練習している姿も見られる。

武術が持つ一般的な激しいイメージとは対照的に、コントロールされたゆっくりとした動きを多く含む。

国内でも、太極拳の愛好者は年々増えつつあり、自治体単位で太極拳を推進しているところもある。

例えば、福島県喜多方市では、「太極拳の街」宣言を行っており、市民単位で、毎朝、太極拳の練習が行われたり、市役所内においても、昼休みに市長を先頭に太極拳の練習が行われるなど、積極的な取組みがなされている。
ラベル:太極拳
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2007年08月12日

ムエタイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ムエタイ(英語: Muay Thai,Thai boxing、タイ語: มวยไทย)は格闘技の一種でタイの国技。
発音的にはムワイタイが正しいが、日本ではムエタイの語で定着している。

直訳するとムワイはクメール語で1を起源とし、1対1の格闘のことであるため(たとえばプラーン(レスリング)のことをムワイプーランという)「タイ式の戦い」となる。
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元々は他国の侵攻に対抗するための古式ムエタイだった。ヨーロッパに知られタイボクシング(Thai boxing、タイ式ボクシングの意)と呼ばれることが多い。

日本ではタイ式キックボクシングともいわれるケースがあるが、正しくはタイ式ボクシングである。キックボクシングはムエタイを元に日本風にアレンジしたものであり、厳密には違う競技である。(理由は後述)。両手、両肘、両脚、両膝の八箇所を用いて相手と戦う。

ラベル:ムエタイ
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