野村證券株式会社(のむらしょうけん、英文名 Nomura Securities Co., Ltd.)は、日本最大の証券会社であり、東京都中央区日本橋一丁目9番1号(日本橋本社・本店)に本拠を構える。
1918(大正7)年に 二代目 野村徳七によって設立された大阪野村銀行(現・りそな銀行、旧大和銀行)の証券部が1925(大正14)年12月25日に独立し、大阪市東区(現在の大阪府大阪市中央区、現・大阪支店の地)で開業した(当時の社長は片岡音吾)。
飯田清三が社長だった1941年に日本初の投資信託業務の認可を受け、1946年に東京に本社を移転。1949年に東京証券取引所正会員となる(当時の社長は奥村綱雄)。瀬川美能留が社長であった1961年に株式を東京証券取引所・大阪証券取引所・名古屋証券取引所に上場し、1965年に調査部を分離独立して株式会社野村総合研究所(NRI)を設立している。
1991年には、株取引に伴う損失補てん問題により、当時の社長であった田淵義久が引責辞任。1997年には、総会屋に対する利益供与事件により田淵義久の後を継いだ酒巻英雄が引責辞任をするなど、証券業のモラルを欠いたスキャンダルも多い。
2001年、持株会社移行に伴い野村證券と持株会社の野村ホールディングスに機能を分割。今日の野村証券グループの中核を担う。旧野村證券が野村ホールディングス(持株会社)に衣替えし、新たに旧野村證券が行っていた証券・付帯業務を行う事業会社、新野村證券が設立され資産等の移転が行われた。
最近では野村総合研究所のシンクタンク部門やリサーチ部門を引継ぎ再編し、金融のシンクタンク機能やリサーチ機能の強化を行った。野村證券内に金融経済研究所を設置し、野村資本市場研究所を別会社としてホールディングス傘下に設立した。
また、他の金融機関と一定の距離を保ち、国の政策である金融コングロマリットとは一線を引いた全方位外交を展開している。ただし、UFJ信託銀行や三菱信託銀行(いずれも現在の三菱UFJ信託銀行)と信託分野で提携するなど三菱UFJフィナンシャル・グループと緊密になりつつある。
元来UFJ信託銀行はその前身である東洋信託銀行が三和銀行、神戸銀行と共に設立した会社であり、また旧三菱東京フィナンシャル・グループの証券会社・三菱証券(現在の三菱UFJ証券)の前身である国際証券を傘下に持ち証券部門の強化を目指していた同グループに同証券の株式を売却した経緯がある。
2005年12月25日で創業80年を迎え、2006年4月1日より連結グループ名称を「野村証券グループ」から「野村グループ」に変更した。
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